間藤駅の現在は「わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線」の駅である。同線の終点。
この写真は国鉄の足尾線時代のもの。
1914年(大正3年)12月31日 - 足尾鉄道の駅として足尾 - 足尾本山間に開業。一般駅。
1918年(大正7年)6月1日 - 国有化され、国鉄足尾線の駅となる。
1970年(昭和45年)貨物営業が廃止され無人化とないスイッチバック施設は撤去された。
ボケた記憶では写真は1976年頃だったかな?
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道に継承される。
1989年(平成元年)3月29日 - JR足尾線の第三セクター鉄道化により、わたらせ渓谷鐵道の駅となる。
「足尾町老人作業所」の看板がある。現在ネットでこの検索すると今風の「社会福祉法人××」と出てくる。当時の老人作業所は銅山に携わってきた老人のための作業所だったのかな?
足尾銅山は1973年(昭和48年)2月28日をもって採鉱を停止し、銅山発見以来360余年の銅山を閉じた。
足尾銅山は20世紀初頭には日本の銅産出量の40%ほどの生産を上げる大銅山だった。
その裏では樹木が坑木・燃料のために伐採され、掘り出した鉱石を製錬する工場から排出される煙が大気汚染を引き起こしていた。
荒廃した山地を水源とする渡良瀬川は洪水を頻発し、製錬による廃棄物を流し足尾山地を流れくだった流域の平地に流れ込み、水質・土壌汚染をもたらし、広範囲な環境汚染を引き起こした。足尾鉱毒事件である。
足尾線の貨物営業が廃止と銅山の採鉱の停止は関連があるのは当然だ。
ここの間藤駅近辺で撮影した「昭和」の写真も後日アップしたいと思う。
足尾鉱毒のためにこの近辺の渓流も長年渓魚が生きられないと言われてきた。
この当時その渓流の水を見た。
しかし水はキレイだ。目視出来ない毒ほど恐ろしいものは無い。
カテゴリを何にするか悩んでしまう。
誰も見ていないって!(笑)