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カテゴリ:蒸気機関車 2012年 02月 04日
昨日2月3日の読売新聞東葛版に掲載されていた。
JR内房線・久留里線開業100周年記念イベントとして、10日から千葉みなと?木更津駅間を走る蒸気機関車 C61に火入れ式「C61形20号(通称・シロクイチ)」の火入れ式が2日。JR木更津駅で行われた。 安全祈願の神事に続き、JR職員の手で焚き口に点火棒にて火が入れられたそうだ。 1974年に引退した同C61形20号機は長く群馬県内で保管・展示されていたが、 2010年に復元工事が始まり昨年3月に車籍が復活。保管する高崎運輸区内などで運行してきたが、千葉県内では復活後初運行となる。 10、11、12日の3日間限定で千葉みなと駅と木更津駅間を1日1往復両駅間を走行予定。 乗車券は既に完売だが、記念入場券を当日限定販売する。 停車する千葉みなと、姉ケ崎、木更津の各駅では10日に記念式典も予定されている。 そう、この「里帰りのC6120号機」で紹介した両毛線の高崎―伊勢崎駅間で快速「SLいせさき」として一日限定で運行されたあのカマである。 ところで(シロクイチ)って初めて聞いた言葉だな。 C62はシロクニ、D51はデゴイチあるいはデコイチ。8620はハチロク、9600はキュウロクと呼んでいたが、 シロクイチ・・・知らんかった。 C6119号機と20号機 実は私には大変なじみのある機関車だ。 C6120は、戦時形のため改修が必要であったD511094号機のボイラーを流用し、 1949年8月1日に三菱重工業三原製作所にて完成された機関車だ。(私が生まれる8年と29日前?) ![]() 同年8月30日、青森機関区に新製配置された。 のちに仙台機関区(1950年1月18日)へ転属し、当時の花形特急「はつかり」や「はくつる」などの牽引を担うため長らく在籍するが1966年12月14日に再び青森機関区へ戻ることになる。 その当時のC61(電化が間近い事が電線でわかる) ![]() 5年後の1971年に東北本線や奥羽本線の電化が進み、終焉の地として九州地方の宮崎機関区移転。 9月19日より運用開始。急行「日南51号」から貨物列車まで様々な列車の牽引に充当し、 最終的に1973年8月28日に同機関区での運用を終えて廃車となった。 新製から廃車までの走行距離は2,869,889kmにも及んだ。 大館駅で機関室に乗せて頂いたC6119号機と九州でまた再会! ![]() (宮崎の駅から撮影) こちらは門鉄デフのC57とC61(きれいな写真がありませんでした) ![]() ![]() 撮影には行かないけれど、その機関車が千葉県を走るのは感無量ですな。 2012年 02月 03日
真面目な話を書いてもつまらないね~。と、前日の内容を読んで思う。
室蘭本線 栗山駅にて ![]() 実は駅名の入っている写真がとても少ない。 ![]() 写真でみても分かるように北海道の駅としては大きな駅だと思う。 栗山駅は当時夕張鉄道線と接続していたので4番線と5番線を夕張鉄道線が使用していた。 こちらは夕張鉄道の写真 ![]() 以前にも使用した写真だがこれも夕張鉄道。 こんな風景が好きでした。 ![]() 夕張鉄道は廃線となったが栗山駅は大規模なバスターミナルとして開発されたそうだ。 2012年 01月 30日
![]() 前方に排雪板を装着し、進行方向の片側もしくは両側に雪を掻き分ける雪かき車である。 豪雪地域の初期除雪に活躍するほか、積雪がさほどひどくない降雪地でも用いられる。 豪雪時など、雪を押しつけたり排雪するスペースがなくなる場合には運用できなくなるため、その場合にはマックレー車とロータリー車を連結した「キマロキ編成」が使われることになる。 都心の鉄道が雪に弱いのはポイントの数が多いだけではなさそうだ。 実際に東武野田線で見たのだけれどパンタグラフって雪で凍結しちゃうと火花を出して壊れてしまうよ。 蒸気機関車やディーゼル機関車はパンタグラフが無いだけ雪に強い。 昔の鉄道の写真で飯山線で「キマロキ編成」の写真を見た事はあるが、電化された今の鉄道はどの様に行われているのだろうか? ![]() 塩狩峠の標識の上の雪を見るとわかる、蒸気機関車は雪に強し! 2012年 01月 29日
北海道の岩見沢が大雪で大変らしい。
廃止された当時その岩見沢から幾春別までの前長18.1キロの路線が幌内線である。 ![]() 1882年に官営幌内鉄道により開業した、道内で最も古い鉄道路線の一部だ。 ![]() 幌内炭鉱をはじめとした沿線の炭鉱から石炭の積み出しのため、小樽や苫小牧、室蘭といった港湾に結ばれていた。1889年に北海道炭礦鉄道に譲渡された後、鉄道国有法により1906年に国有化され、幌内線となった。以来、運炭輸送にあたってきたが、炭鉱の衰退に伴って客貨とも輸送量が減少し、廃止対象となった。 ![]() 1980年の国鉄再建法施行により、1984年に第2次特定地方交通線に指定され、1987年に日本国有鉄道から北海道旅客鉄道に承継された後、同年に廃止、バス転換された。 JR移行後のJR線廃線第1号であった。 ![]() 旧幌内駅構内及び三笠駅構内は、幌内線をはじめとする北海道の鉄道の歴史を後世に伝えるため、三笠鉄道村(三笠鉄道記念館・クロフォード公園)として活用されているそうだ。 2012年 01月 22日
![]() 当時の国鉄が個人旅行客の増大を目的に1970年から始めたキャンペーン。 Discover.japan(日本再発見)のスタンプが全国の国鉄駅に設置されていた。 実はこれも100駅以上の(数えた事がないぐらいたくさん)スタンプを今でも持っている。 この様なノートが出てきた。 蒸気機関車撮影のための予定が書いてある。 このようなノートにまでスタンプを押していたんだ。 しかし、今思うと神経質で几帳面だったのだなぁ・・・ 文字も今より丁寧できれいだし、、、どこで人格が変わったのだろう? やはり酒かな・・・・ 2012年 01月 21日
昭和47年10月14日(土)・15日(日)の2日間東海道本線を記念列車が走った。この年は総武・成田線でC571が走った年でもある。
![]() 成田、総武線にしてこの人数である。 考えられない状況で東海道線を走るC577号機 線路内に入り撮影しているがいた。 ![]() 六郷川橋梁。 こんな狭い犬走りにも! ![]() 川原にも人・人・人 ![]() 東横浜貨物取扱所にも! ![]() 当時15歳だった私にはあれほど近くで何を撮影しているのかわからなかった。 ![]() ![]() どうせなら機関車の天井に乗ってしまえば良いのに(笑) しかし、よく事故が起きなかったものである。 2012年 01月 17日
この当時は熊の事など全く考えていなかったね。
![]() (函館本線) ![]() (名寄本線) ![]() (宗谷本線) ![]() (室蘭本線) 1番目の写真と4番目の写真は同じ様なロケーション。 でも全く違う場所なのは、これが北海道の当時の風景だからだ。 2012年 01月 16日
石北本線のスイッチバックは魅力的でした。
特に常紋信号場。 鉄道撮影を主な活動とする鉄道ファンから注目される存在となり、様々な鉄道ファンが訪れましたね。 冬の常紋信号所付近の写真。 ![]() 夏の常紋信号所付近の写真 ![]() なんたって寒いのよ。 でね、この常紋トンネルはとてもやばいトンネルなんだ。 常紋トンネルは凄惨過酷なタコ部屋労働で建設されたことでも有名であり、1968年の十勝沖地震で壁面が損傷し、その改修工事(1970年)の際、壁から立ったままの人骨が発見された。また入口付近でも大量の人骨が発見された。人骨の一部には外力による損傷が見られたという。これにより「常紋トンネルには人柱が埋まっており、彼等の亡霊がトンネルや信号場に出る」という鉄道員間の噂の一部、「常紋トンネルには人柱が埋まっている」が事実であることが確認された。施工当時、重労働と栄養不足による脚気から労働者は次々と倒れ、倒れた労働者は治療されることもなく現場近くに生き埋めにされたという。 そんな噂の常紋トンネルを知っていた私。 どんなに大変でもこのトンネルだけはやばいから山越えのルートにしようと雪山の山越えルートで撮影ポイントまで歩きました。 ![]() その時の私の姿。 ![]() わははは、エスキモーじゃん。 この日は氷点下25度だったと思う。 いや~、常紋トンネルは本当に怖くて抜けられなかった。 2012年 01月 14日
genmaさん
その「塔のへつり」付近の写真です。 “へつり”とは、方言で川に迫った断崖や急斜面の意味だそうで、僕らが山岳渓流の通らずを岩にはり付いて移動する「へずり」もその辺が語源なのかもしれませんね。(あくまで想像ですが) あまりに写りが悪いのでアップしませんでした「塔のへつり」近辺のC11 雰囲気だけでも見てください。 ![]() 2012年 01月 13日
ああ、もう1月13日か。
ん?今日は13日の金曜日なのですな。 蒸気機関車に限らず鉄道写真には撮影の難しいアングルがある。 車両の下からの撮影 ![]() 燃えカスの石炭を落とす場所やメンテナンスをするために下にもぐる場所がある。 自動車と同じだね。 会津若松機関区だったと思う・・ C11 ![]() ![]() 今はお休み中 鉄の塊が動き出すと生き物になるのよね。 < 前のページ次のページ >
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