観戦して来ました、第59回 マカオ・グランプリ
2012年 11月 25日
心配していた天気の予報も直前で雨から曇りのち晴に変わる。
予定を組んだのは9月で正直、尖閣の問題があり少しだけ不安もあった。
香港やマカオは中華人民共和国特別行政区であれど日本人にとっては中国だ。
しかし行ってみると香港やマカオの人々は中国人であっても北京語の共和国の人達とは違う事に気づく。
10数年前まではイギリスやポルトガルの植民地であったからだ。
これからの香港の小学生達は英語と広東語と北京語を覚えなければならない。
香港の空港に着くと最初に出くわしたのは、列に並ばない大声で話す中国人の観光客多さだ。
同じ中国なのにパスポートが必要なのは中国本土からの移住規制のためだ。香港の人もマカオの人も狭い地域にこれ以上の人口増加を望んでいないらしい。
イギリスは1997年7月1日に香港の主権を中国に返還し、香港は中国の特別行政区となることが明らかにされた。中国政府は鄧小平が提示した一国二制度(一国両制)を元に社会主義政策を将来50年(2047年まで)にわたって香港で実施しないことを約束した。
これは中国共産党の一党独裁国家である中国の支配を受けること好まない香港住民に配慮されたものである。現実にはお金持ち達は、イギリス連邦内のカナダやオーストラリアへの移民した。
返還されてから15年経過するのだが後35年経つとどうなるのだろうか?
1日目は香港で観光。夜景を観て夕食
翌日はジェットフェリーでマカオへ向かう。(約1時間)
Macau Grand Prixは、1954年よりマカオの中心地の公道を使用して開催されている世界的に有名な市街地レースで、毎年11月中旬に開催される。ポルトガルの植民地であった1954年に、地元に住むポルトガル人やイギリス人、アメリカ人や華僑のモータースポーツ愛好家の手によって始められた。
11983年より国際格式のF3マシンによって行われるようになり、世界のF3選手権の上位入賞者が集まるようになった。アイルトン・セナ(1983年優勝)やミハエル・シューマッハ(1990年優勝)、デビッド・クルサード(1991年優勝)、佐藤琢磨(2001年優勝)ジェンソン・バトン(1999年:2位)エイドリアン・スーティル(2006年:3位)など多くのレーシングドライバーがここで勝利を挙げた後にF1へとステップアップするなど、若手ドライバーにとっての登竜門的存在のレースとなっている。
WTCC世界ツーリングカー選手権も同市街地サーキットで決勝レース1/レース2が行われた。、レース1はイバン・ミューラー(シボレー・クルーズ)、レース2はアラン・メニュ(シボレー・クルーズ)が優勝。ワールドチャンピオンはロバート・ハフ(シボレー・クルーズ)が獲得した。今季のWTCC最終戦。レース1はハフがポールからスタートし、トップでリスボア・ベントへ。ミューラー、メニュ、そしてガブリエル・タルキーニ(セアト・レオン)、5番手スタートのティアゴ・モンテイロのホンダ・シビックWTCC、ダリル・オーヤンのクルーズと続いていくしかし、その後方でメヘディ・ベナーニ(BMW320TC)、ノルベルト・ミケリス(BMW320TC)が接触しながらリスボアのバリアに突っ込んでしまい完全に後続はストップ。“駐車場”状態となってしまい、レースはトップ6台による争いとなった。
赤旗が出そうなのにこのまま続行リスボアコーナー席で観戦。
いや~、最高に楽しいレースでした。