筑豊本線

筑豊(ちくほう)とは、飯塚市、直方市、田川市、山田市、嘉穂郡、鞍手郡、田川郡の総称である。
自分にとっての「筑豊」とは写真家の土門拳さんの「筑豊の子供達」や先日引退された大関の魁皇 直方(のおがたと読みます)や、田川の麻生セメントの元総理大臣の麻生太郎さんを思い出す。

昔は田川あたりを豊前(ぶぜん)、直方や飯塚近辺を筑前(ちくぜん)と称していた。筑前内野ー筑前山家は冷水峠(ひやみずとうげ)と呼ばれ福岡県飯塚市内野と筑紫野市山家に跨る峠で、冷水トンネルの前後はR200-300の急カーブや最大25‰の急勾配が連続していてこの路線では難所の峠であった。

撮影当日当時の筑前内野だったかなぁ?猛烈な下痢の襲われ冷水峠の撮影を断念した記憶がある。しかたなく直方や飯塚近辺で撮影したのだが、当時の筑豊本線はローカルな鉄道とは思えないほどのびっくりした量の輸送が行われていた。

b0034897_2236386.jpg

デフのない9600は床屋さんに行ったばかりの印象だし(笑)

b0034897_22383551.jpg

ナメクジもやってくる。

b0034897_22404379.jpg

D50とD51の重連も見られる。

明治時代、運炭(うんたん)を目的として作られた鉄道である。
博多を目指す筑豊と福岡市は対立していて、筑豊本線は博多駅を通らず、直接、福岡市の南方に抜けることになった。そのため筑豊本線は篠栗線開通まで福岡市市民を客として獲得できずかなり寂れてしまったのである。その後篠栗線が開通したものの、炭鉱の閉山により筑豊地方の人口が減少し廃止になりかけたところ、麻生太郎元総理の力により、廃止どころか篠栗線と合わせて電化されるということになった。この電化された折尾~桂川と篠栗線をあわせて、「福北ゆたか線」と呼ぶようになったらしい。

40数年後の事などわからんのは、麻生さんも魁皇関も私も同じ。
b0034897_2248169.jpg

b0034897_2250182.jpg

当時の私のお目当てはD60とD50

この未曾有のお宝的蒸気機関車は、さすが麻生先生のお膝元です。
[PR]
トラックバックURL : http://minabozu.exblog.jp/tb/17347174
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
by minabozu | 2011-12-16 22:58 | 鉄道.蒸気機関車 | Trackback | Comments(0)

釣れなくても幸せ!


by minabozu
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31