チャーリー・パーカー
2010年 12月 12日
これからその好きな事でのプロを目指す事は難しい。
絵は表現方法が多すぎて、自分が表現をしたい絵から模索する事から始めるには時間的に無理がある。写真は絵画と比べるとプロセス的に制約が非常に多い。すでに発表されている作品に類似してしまいそうだ。それとデジタルカメラでの撮影は、撮影、現像、プリントという時間的な制約のある1発勝負というプロでしかできない壁を取っ払ってしまった。
音楽。
基本的にドレミファソラシ+半音が5音。12だけの音で様々なメロディーを創り出す。たったそれだけの組み合わせが無限のように感じられる。しかし時として同じ様なメロディーが出て来た時に盗作と考えるか否か?例えばJazzでは古典的なメロディーを覚えなければJazzのアドリブは演奏できないと思う。それを人前で演奏したからといって誰も盗作だと非難などしない。まぁ、どこかで聞いた事があるからといってそれをアドリブのに取り入れて演奏するにはとてつもない努力が必要だ。
偉大なるマイルス・デイビスが言っていた言葉がジャッキーマクリーンへ「Yesterdaysを覚えてこい!」
「この曲は古い時代の代物だ。なんで俺みたいな若者がこんな古臭い曲を憶えなきゃならないんだ」
「なんだと、知らないなら憶えろ!おい、音楽に時代もクソもないんだ。音楽は音楽だ。」
マイルスが誰かの演奏のYesterdaysのコピーを演奏するわけではない。同じ音を使用してしても音楽は毎回違う。ジョージ・ベンソンも「他人と違う事ばかりしようと考えているようならギターは諦めた方がよい」と教則DVDでも教えている。そして、「自分に真似されたくなければ、私の前でプレイしないことだ(笑)ごめん、盗んでしまって!」と笑わせてくれている。
何も無いもの。無から何かを生み出す時はよい素材=真似からオリジナルを創り出す事は恥ではない。むしろ真似をされた偉大なアーチストはさらに偉大になれる。
ああ、そうか。写真でも同じモチーフを撮影しても全て違うもんな。売れっ子のモデルを撮影してもモデルは同じでも撮影者が違えば全く違う写真になるからな。などと思えど、楽器はその道具を使いこなす事から修行が始まる。難儀だよなぁ、デジタルカメラと比べて。
と、最後にお題の「チャーリー・パーカー」。
チャーリー・パーカーは原点だと自分は思います。
わはは、たった2行ですかいな。
Tシャツにしたんだけど、なぜか不人気でがっかりざんす。
読むたびいろいろ納得するなぁ。